オススメの感動話をご紹介致します。

【母親代わりのお祖母ちゃん】----------------------

 

●男性

 

おばあちゃんは僕の母親代わりだったんです。

僕が1歳10ヶ月の時に父が行方不明になり、

 

母はショックで育児放棄しました。

 

僕はなかば捨てられたも同然で、それからというもの、

僕はおばあちゃんに育てられました。

 

そんな、母親代わりのおばあちゃんが、

よく口にしていた言葉がありました。

 

それは「すいません」です。

 

おばあちゃんは、何かあるとすぐに

「すいません」と言うんです。

 

「すいませんと言っておけば、全て丸く収まるから」と。

 

でも、僕はそんなおばあちゃんに

反発した頃もあったんです。

 

それは僕が中学生の時でした。

 

実は、僕は小学校の頃にいじめられており、

中学に入ってもいじめは続きました。

 

そして、ある時ふと「どつき回したらどうなるんやろな」と思い、

僕をいじめてたやつをボコボコにしたんです。

 

そしたら相手が謝ったんです。

 

その時思いました。暴力を振るえば相手が謝る。

力で解決できる。

 

「すいませんと言えば良い」というおばあちゃんの考えは

間違っているんだ。自分の力で生きていくんだって。

 

それから21歳まで、ずっとそうやって生きてきました。

 

そんなある日のことでした。

横断歩道を渡ろうとしたら、車が左折して来たんです。

 

僕の目の前をスレスレで走って行くから、

カチンと来て、車を蹴ったんです。

 

そして、「出てこいやオラァ!」って言ったら、

運転手が車から出てきたのでボコボコにしたんです。

 

それで、誰かが警察を呼んだんですが、

警察が来るまでの間に相手が「訴えてやる!」って言ったから、

 

「オウ、訴えられるもんなら訴えてみろや!」って言って、

またボコボコにしたんです。

 

そしたら、しばらくして警察が来て。事情聴取を受けて。

 

当時僕は既に働いていたんですが、

母親の居場所はわからず、父親も行方不明だったので、

 

身元引受人がいなかったんです。

 

そうしたら、当時別々に住んでいたおばあちゃんが

来てくれたんですよ。

 

おばあちゃんは、僕がボコボコにした相手に対し、

土下座して謝ってくれて・・・。

 

その姿を見た時、やっと分かりました。自分が間違っていた、と。

力で解決しようなんて思っちゃいけない、と。

 

おばあちゃんが謝ってくれたおかげで、

相手の人は訴えるのをやめてくれたんです。

 

その後でおばあちゃんと話したんですが、

全然叱らないんですよ。

 

「訴えられなくて良かったなぁ」って言って、

ただ僕の頭をなでてくれて・・・。

 

そのおばあちゃんが、去年・・・

12月24日に、亡くなったんです・・・。

 

最期、息を引き取る直前に病院に行ったら、

酸素マスクをつけていて。

 

でも、僕の姿を見たら、必死にマスクを外して、

 

「・・・○○○、来てくれたんか・・・」

 

と、声にならない声を出して、僕の名前を呼んでくれて・・・。

 

おばあちゃんがいたから、僕は前科もつかずに、

真っ当に生きてこれたんです。

 

おばあちゃんがいなかったら、

今頃どうなっていたか分かりません。

 

本当に・・・本当に、

おばあちゃんには感謝してもしきれません。

 

ありがとう。おばあちゃん・・・。

●【願いを叶えてくれた母----------------------

 

<男性>

 

『私が小さい頃、母は病弱で、入院していたんです。

 

小学校2年生の頃、ポケットモンスターというゲームが流行っていて、友達はみんな持っていて、僕も欲しいな~と思っていたんです。

 

でもうちは貧乏だし、母は入院しているし、無理だなって思っていました。

そしたらある日、家に帰ると、四角い箱が置いてあったんです!

 

中を見ると、ゲームボーイの本体とポケモンが入っていました。

 

実は母が、僕がポケモンを欲しがっているのを知って、お兄ちゃんに頼んで、僕の誕生日に買って来てくれていたんです。

 

もうすごく嬉しくて、夢中でやりました!

 

その後、母が退院した後に、

 

「(ポケモン)どのくらい進んだ?」

 

って母に聞かれて、

 

「もう 、全部倒したし、ゲットしたよ!」

 

って言った時の、母の笑顔が…すごく感動しました! 

 

入院していたのに、僕が欲しいものをちゃんと聴いていてくれて、

そして僕の誕生日にサプライズまでしてくれて・・・。

 

母は今でも難病にかかっているんですが、でも頑張っているんです。

「全部ゲットしたよ!」って言ったときの、あの笑顔を見た時は・・・

 

本当にやばかったですね』


 

●【祖父の胸ポケットの秘密----------------------

 

<男性>

 

『僕が20歳の時におじいちゃんが亡くなったんです。

お葬式の時に、お寺の住職さんから聞いた話があって。

 

僕のおばあちゃんは、僕が生まれる一年前に

亡くなっていたんです。

 

そして、おじいちゃんはいつも、どこに行くにも、

左胸ポケットがある服を着ていて、それで、

何が入っているんだろうなって思っていたんです。

 

補聴器が入っているのは知っていたんですが、

他にも何かあるのかなって。

 

そしたら、住職さんが言うのは、胸ポケットには、

いつもおばあちゃんの写真が入っていたんです。

 

おじいちゃんは校長先生をやっていたんですが、

出張で色んなところに行っていたらしいんです。

 

その度に、胸ポケットから写真を出して、

「あき、今日は○○に来たよ」って言っていたそうなんです。

 

それを聞いた時に、号泣してしまいました。

 

そして、僕はおばあちゃんの「あき」という名前を

自分の名前の一部に貰っているんですが、

 

住職さんはそれに対して、

 

「あきという名前は、このように、周りの人から愛される名前なんです。

だから、あなたは、自分から周りの人を愛してあげなさい」

 

と言ってくれました』


●【バカにされた少年が見つけた夢----------------------

 

女性(親子連れ)

 

『この子は、小学校4年生の時に、

九九を全て忘れたんです。

 

それで、周りからバカだバカだって言われて、

本人も「僕はバカだ」って言ってて。

 

生まれた時からずっと警察官になりたいって

ずっと言っていたのに、その夢も無くして・・・。

 

正月にみんなで集まった時に、一人ずつ夢を語ろうってなって、

一人ずつ語って行って、私も語って、この子の番になったんですよ。

 

そしたら、

 

「僕、無い」

 

って言って。

 

「じゃあ、思い付いたら言ってね」ってその時は言ったんです。

 

でも、その後コーチング仲間の集まりがあって。

 

そこでみんなと接しているうちに、

漫画家になりたいっていう夢を見つけたんです。

 

そして、13年後、23歳の時に、

私の親の命日にジャンプでデビューするって。

 

本当に素敵な夢を持てて良かったなって思います。

この子の夢は叶うと思います』


●【友の助け----------------------

 

<男性>

 

『僕は付き合っている彼女がいるんですが、

 一度彼女の両親の反対で、関係が危なくなったんです。

 

 その時に、彼女と私の共通の女友達が、

 彼女の両親を説得してくれたんです!

 

 そして彼女に、

 

 「どうでも良い人だったら放っとくけど、

  あの人はあんたにとって必要な人だと思うから」

 

 って言ってくれて!

 

 もう、すごい嬉しかったし、感謝です!

 

 そのおかげで、ご両親が、

 「一度家に連れて来い」

 

 と言ってくれて、彼女の実家に行って、

 その時お母さんしかいなかったんですが、

 

 満面の笑みで迎えてくれて。

 

 それを見た時に、これで彼女とまた

 付き合っていけるって思って。

 

 それまでは、コソコソ隠れて付き合うような感じだったし、

 隠れるのはやめて、堂々と付き合いたかったから、

 

 そのきっかけにもなったし。

 

 彼女は、僕の交友関係とかにも、

 本当に理解があって、

 

 もう、彼女を逃したら、

 これ以上の女性と出会うことはないと思うし、

 

 今、そんなに生活が豊かではないけど、

 月々ちょっとずつだけど、貯金もしてて、

 

 結婚しようって思っています!』


●【合格後のコンサート----------------------

 

<女性>

 

オペラのミニコンサートに行った時です

 

会社の人と4人で行きました。メンバーも常に前向きで純粋で

優しくて向上心のある人達で、それだけで十分に素敵な時間でした。

 

そしたら途中でオペラ歌手のお姉さんが

「今日はとってもおめでたいことがあるから」

 

と言ってプログラムにはないお祝いの歌を歌って下さいました。

 

そのおめでたい事というのは、私ともう一人が、

会社の中途正社員募集の試験に合格したことだったのでした。

 

メンバーの中の一人、正社員の先輩である人が

事前にオペラ歌手の人と連絡を取っていてくれたのでした。

 

思わぬオペラの歌でのお祝いは超サプライズ!!!大感動でした。

 

会場のお客様皆にお祝いの言葉を頂きました。社員試験だけでこんなに祝ってもらえるとは思ってもみなかったので、涙涙です。

 

先輩に「仲間になってくれて嬉しい」と言ってもらったことも嬉しかったです。

 

ひとしきり感動して、落ち着いて席に着いたら「はい、どうぞ」と、

更に花束のプレゼント!駄目押し・・・

 

歓迎してもらえる、それを目一杯形にして表現してもらえる、

自分がいかに幸せかを確認できる、感動でした。

 

そして、そんな優しい人達がいる。これも感動です。

思い出せばいろいろあります。思い出すたびに、自分がいかに沢山の幸せを沢山の人からいただいたかを実感します


●【涙の違い----------------------

 

<男性>

 

『自分野球部なんですが、僕らの代は結構強くて、

甲子園に行けるかもしれないと思っていたんです。

 

でも、県の準決勝で後に甲子園出場を決めた高校に負けて、

悔しくてマウンドで泣いていたんです。

 

でも、その後、お袋が僕の胸ですごい泣いていて。

その時に気付いたんです。

 

僕が流した涙は、自分のためだけのものだったけど、

お袋は人の事を想って泣いてる。

 

人の事を想ってそれだけ泣けるって、すごいなって。

 

そして、それまで近くにいたのに大切にしていない事に気付いて、

これからは大切にしようって思ったんです』


●【信じてくれた先生----------------------

 

男性

 

『小学校の時の担任の先生ですね。

 当時僕は、ちょっとすれてて、万引きとかしていたんですよ。

 

 ある時、かなりの商品を万引きした時に警察に捕まって、

 担任の先生や他の先生も来たんですよ。

 

 で、少しでも罪を軽くしようとして、「初めてやった」って

 言ったんです。

 

 でも、他の先生たちが、「お前ら初めてじゃないだろ?」

 「前にもやったことあるだろ?」って言ってきて、

 

 実際に僕らは初めてでは無かったんです。

 

 そしたら、担任の先生が、

 

 「この子達が初めてだって言ってるんだから、初めてなんです!!」

 

 って庇ってくれて。

 

 その時は罪悪感も感じたけど、その先生がそうやって庇ってくれたり、

 あと、「優しさとは何か」を教えてくれたりして、そのお陰で

 万引きを止めることが出来たんです』


●【重傷患者に起きた奇跡----------------------

 

<女性>


『私は看護学生なんですが、最近ずっと実習をしていたんです。
そこ(病院)で、重傷の患者さんがいたんです。
意識がなくて、人工呼吸器をつけて。

昨日、私たち看護学生が、クリスマスだからと、

病室でジングルベルを演奏したんです。

そうしたら、いつもは意識がなくて反応がない

その患者さんが、手を動かして拍手してくれたんです。

それを見た看護師の方々が号泣していて、

私たちはその時は詳しい事情を知らなかったので、

何で泣いているのか分かりませんでした。

そして、最後に、人工呼吸器の向こうで、唇を微かに動かして、

「あ…り…が…と…う…」と、声にならない声を出してくれたんです。

これが、私が最近感動したことです。看護師という仕事の素晴らしさを感じました!』


●【初めての笑顔----------------------

 

<女性>

 

『演劇の舞台をやった日、舞台の後に親子劇場があって、

小さい子たちに舞台装置などを教えてあげていたら、

 

 笑いながらキャーキャー楽しんでいて、それが終わって、

楽しんでもらって良かったなぁ~と思っていたら、

1人の女性がやって来て、こう言いました。
 

「ありがとうございます。実はあの子たちは両親を亡くしていて、

 ずっと笑わなかったんです。でも、今日初めて笑ってくれました」

   

それを聞いて、やって良かったと思いました。

 

実はその日の舞台は、自分としては良い出来ではなかったのですが、

その女性の言葉を聞いて、またやろう!と思えました』


●【大好きだったボール----------------------

 

<男性>

 

『小学校2年~6年まで中型犬を飼っていたんです。で、一緒に色々遊んで、ボール投げて取って来させてたりしていたんです。

 

その犬が大好きなボールがあって、いつもそれを使って。

 

だけどその内に犬はどんどん年老いて行って。

 

放し飼いにしていたからよく外へ行っていたんですが、ある日・・・

犬が土手にいて、近付いてみたら・・・

 

・・・老衰で死んでいたんです。

 

そして、よく見たら何かをくわえていて・・・

・・・それが大好きだったあのボールだったんです・・・

それを見た瞬間、色んな感情が沸き上がって来ました・・・』


●【いじめから救ってくれた神様----------------------

 

<女性>

 

『小学校5年生の頃に、いじめられていたんです。

それが、学年全体からで。

 

「死ね」とか、「触んな」「腐る」とか言われて。

 

中学に上がっても、3つの小学校が一緒になる形なので、

同じ小学校でいじめていた人たちがいて、他の2つの小学校出身の子たちも、

うちの小学校の子達から話を聞いて、いじめに加わって来ました。

 

私が廊下を通ると、人がさっと両脇によけて、私が通り過ぎた後に、

後ろから心無い一言が掛かるんです。

 

だから、完全に心を閉ざしていて。誰かに話しかけられても、話しませんでした。

 

そんなある日。とある女の子から手紙をもらったんです。

 

私、手紙にはすごく悪いイメージがあって。

 

大体、「死ね」とか、そういう事が書いてあるものばかりだったから。

 

だから、最悪!って思いました。

 

でも、帰りながら、一応読んでみたんです。

 

そしたら、1枚目の最初に、

 

「私と友達になって下さい」

 

って書いてあって。

 

皆からいじめられている私に対して、何で?あり得ない!って思って。

 

その後に、「友達になったら、一緒にハンバーガー食べたり、

私は泳ぎが苦手だから、プールに行って、泳ぎを教えて欲しい。

それから・・・」

 

と、4枚も書いてあって。

 

こんな私にそんな風に言ってくれたことと、

勝手に悪い内容だと思っていた自分が嫌で、

号泣しながら帰って。

 

それから、その子と友達になりました。

 

その子は明るくて人気がある子で。

 

何かの班を作るとき、私はいつも最後に残るんです。

でも、その子は、いつも私と一緒にいてくれて。

その子なら、どの班でも入れるのに。

 

そうやって、私達2人が残って、

最後にどこかの班に入る、という事が、

ずっと繰り返されました。

 

その子とは、中学3年間ずっと同じクラスだったんです。

 

普通そんなことはあり得ないから、きっと先生が

そうしてくれたんだと思います。

 

今では、その子のおかげで、私もだいぶ喋られるようになりました。

 

本当、あの子は神様です。

 

全てあの子のおかげです。

 

本当に、本当に、ありがとう』


●【ガンの夫の一言と妻の行動----------------------

 

<女性

 

『私の父親は、ガンで亡くなったんです。50歳のときに亡くなったんですが、亡くなる数日前に、こう言ったんです。

 

「俺が死ねば、生命保険が入って、楽になるだろう?」

 

保険を掛けていたので、父が亡くなると、家族に何千万かが入るように

なっていました。でも、それを聴いて母は・・・

 

母は保険を解約したんです。お金なんかよりも父に1日でも

長く生きて欲しいから。

 

「俺が死ねば」なんて言っていると、すぐにそうなっちゃうから。

 

当時、子どもが4人いて、家計も大変だったんです。

 

お金が入れば生活は楽になるのに、母の行動は、

なかなか出来る事じゃないと思います』

 


●【アルツハイマーの祖母が覚えていたもの----------------------

 

<女性>

 

『私のおばあちゃんが、アルツハイマーなんです。

 

私のことも、もう分からなくて、電話しても、分かってなくて。会いに行っても、私とお母さんを見て、「どっちがお姉さんだった?」って聞いて来るくらいで。

 

でも私は会いに行ってたんです。分かってくれなかったけど・・・。

 

そしてある日、おばあちゃんが、私が生まれた病院の横を通ったんです。

 

そしたら、その時に・・・

 

「ここは○○が生まれた所だねぇ」

 

と、私の事を話してくれて・・・。

 

お医者さんに聞いたら、アルツハイマーの人も、嬉しい事は覚えているみたいなんです。

 

それを聞いた時に、おばあちゃんにとって、

私が生まれた事は、

 

アルツハイマーになった後でも覚えていてくれるくらいに

嬉しかった事なんだって思って、感動して泣いちゃいました』

 


●【諦めていた漫画家が気付いた大切なこと----------------------

 

男性

 

思えば漫画家を目指し始めた頃から何度も何度も

「自分が賞を取ってデビューした瞬間」というものを想像してきました・・・

 

その時作者コメントになんて書こう、とか

担当ってどんな人なんだろう、とか

 

寝る前布団の中で色々と悶々としていたけど、次の瞬間いつも

「でも少なくとも今の自分では絶対無理だな・・・

と気持ちが萎えていたんです

 

別に最初から諦めていた訳じゃないけど、「自分が漫画家になる」

というのが別の次元の事の様に感じていました。

 

世の中漫画家なんて腐るほどいるし雑誌編集者だって

単なる普通の人間だというのは良く分かっているけど、

 

には「その場所」が遥か高みにあるように思えてならなかったんです

 

特に、22歳になり、専門学校を卒業して2年も経つのに

まだちゃんとした漫画を一作品も描けていなかったあの頃は、

 

「自分の足では絶対に「その場所」に行く事は出来ないのではないか」、

 

「いや、そもそも自分にとっての「その場所」なんて

初めからなかったのではないのか」

 

と錯覚さえするようになっていました。

 

だから最初に投稿先の漫画雑誌の編集から「新人大賞を受賞した」と

電話がかかってきた時、初めに感じたのが

 

「あ、本当にあったんだ・・・「その場所」・・・

 

という漠然とした思いでした

 

例えるならば宝くじをいつも買っているのに

いつもはずれてばかりの人が

 

いつからか「買ってもどうせ当たらないんだろうな」と

心のどこかで思っていたのだけど、ある日一等の一億円が

当たった時に、喜びよりも先に「これ、本当に当たるんだな・・・

 

と思ってしまうのと同じような感じ。

 

まあ、漫画の投稿と宝くじを同じにしてしまうのは何ですが

からしてみても今回の漫画は「最低でも佳作は絶対取ったる!!」

 

くらいの意気込みで描いたんですが、それでもいざ賞を取ってみると

なんか実感が沸かないと言うか、

 

「ああ、「その場所」って外とすぐ近くにあったんだな・・・

 

と、今現在では「その場所」にいる事が普通に思えてきてしまっています

 

まあ、あくまでまだ足を一歩踏み入れただけであり

大事なのはこれからなんですが

 

とにかく「成せば成る、成さねば成らぬ、何事も」

この言葉を少し実感させられた気分でした

 

「その場所」を遠ざけていたのはきっと他ならぬ自身でした』


●【結婚式で義父から言われた一言----------------------

 

<女性>

 

いろいろ感動体験はありましたが・・・

記憶に新しくて最も印象的なのは結婚式での義父の謝辞でしょうか

 

普通は来てくれた人へのお礼と若い2人をよろしく的な挨拶で

終わるものだと思うんですが、その後に私たちへの言葉もくれたんです

 

そのときの言葉が

 

「結婚は家と家との繋がり・・・古い言葉かもしれんが敢えてこう言う。家と家が繋がったからこそ、2人の門出にこれだけの人が集まってくれた。

 

これからの生活で2人だけでどうしようもない問題が出てきた

今日来てくれた皆がいる。だから2人で抱え込まず、ちゃんと頼りなさい」

 

だったんです

 

そして

 

○○家へようこそ」

 

って私に向かって力強く言ってくれたんですが、まさか謝辞で

そんなこと言ってもらえると思ってなかったから

 

それが結婚式の中でいちばん泣いたし、

今思い出しても嬉しくて泣けます()

 

きっと

 

予想外の言葉だったこと(「結婚=家を捨てる」

って感覚がどこかにあったけど、義父の言葉で「家が増える」

ってことなんだと気づかされた)

 

自分を受け入れてもらった嬉しさ

(やっぱり新しいおうちに入るというのは緊張するものなんです

 

「結婚式」という非日常

 

が組み合わさったからこそ、強く残ったんだと思います


●【最後の出勤日----------------------

 

<女性

 

今日、6年間働いた歯医者での最後の出勤だったんです。

もう少しで勤務時間も終わるという時。患者さんが、花束を持って来てくれたんです!

 

治療があるわけでもないのに、わざわざ花束だけを持って来てくれて!嬉しすぎて泣いちゃいました!すっごく幸せで。私が勤め始めてからずっと知っている人もいて、すっごい寂しがってくれたりして。

 

今度、転職して、飲食店に勤務する事になるんですが、「店に食べに行くわ」って言ってくれて。院長の奥さんと話していたときなんて、号泣しちゃいました。


●【コーチの意外な一言----------------------

 

<女性

 

高校の時練習試合で、すごく強いところと

やらせてもらえる機会があったんです

 

ほんとにそこ厳しくて段違いで強く、うちらは当然ボロ負けで・・・

むこうのコーチも、すごく厳しくて怖くて黙ってるか怒ってるか、

という感じでした。

 

課題がたくさん残って、主将のわたし1人でそのコーチのところに

指導もらいにいったんです

 

そしたら、そのコーチはたしのこと笑顔ですごく褒めてくれて・・・

 

このチームをお前が引っ張っているのは、プレーを見ただけでわかる」とまで言ってくれて・・・

 

それまでそんな風に褒められたことなかったし、

自分のやってきたことが認められた気がして、本当に嬉しかったです

 

家に帰って、お母さんに話したら、涙流して喜んでくれました

きっと、たしが夢中でやってるの1番見ててくれたからかな


●【私を変えた先生の一言----------------------

 

<女性>

 

『小学校の頃、大好きだった女性の先生がいたんです。

先生は、私が友達と色々あった時に3時間も話を聴いてくれたりして。

 

私は、その頃自分の事が嫌いだったんですよ。

でも卒業式に、その先生が、「あたしは、○○ちゃんのこと好きだよ」

と言ってくれて。

 

嬉しくて泣いちゃいました!』


●【上司が泣いた理由----------------------

 

<男性>

 

『私は金融会社(お金を貸す会社)で働いているんですが、

ある時、とある中小企業の社長さんがお客さんとして来ていて、

 

その対応をしていたんです。

 

こちら側がお金を貸すための条件をそのお客さんが満たしておらず、

満たして下さいと言ったんですが、

 

次に会った時に満たしていなかったんです。

 

これは駄目だなって。お金を貸すかどうかが微妙な状態に

なってしまったんです。

 

そこで私は、率直に上司に報告したんです。

「出来ません(このお客さんには貸せません)」と。

 

そしたら上司が、「じゃあ、俺も一緒に行ってやるよ」

と、お客さんの所に一緒に行ってくれることに。

 

そして、お客さんの所に行く途中、車を運転していた上司が言いました。

「今から怒るぞ?」そう宣言したんです。

 

その後、上司は泣きながら怒って来たんです。

 

お客さんは、会社の社長だから、自分の会社に命を掛けている。

かたやこちらはサラリーマン。会社の一員として、

 

「仕事」としてやっている。

 

その「重み」が全然違う、という事に気付かされて、感銘を受けました。

立場が全然違うんですよ。

 

こっちは、「ここまでやったんだから出来ない」で、

向こうは、「ここまでやったんだから出来るだろう」と。

 

お客さんの目の前で「出来ません」と言う私に対して、

上司は、「やりましょう!」と言ったんです。

 

Noって言うのは簡単なんです。

やるって言って、それを上手くやる。

 

上司は本当に上手くやりましたね。

今では、そのお客さんの会社、すごく良い会社になっていますよ。

 

こちらは、仕事の一つとしてやっているけど、お客さんにとっては、

最後の頼みなんです。

 

その案件が終わった時、こちらも向こうも「肩の荷が降りた」んですが、

意味が全く違うんです。

 

こちらは、仕事を片付けた、という感じですが、

向こうは、「会社が、その人の命が、明日に繋がった」と。

 

それを分かっていなかった。気付かされました』


●【「もう一枚ちょうだい」----------------------

 

男性>

 

『僕はカメラマンで、小児病棟に写真を撮りに行く事があったんです。

小児病棟は、身体からパイプが出ているような子達、頭の手術をした子は、

髪を全部剃っちゃって・・・という子たちがいるところ。

 

そこで、紙芝居を見せに来て貰って、その紙芝居を見ている時に、

子供たちが笑顔になるんです。その笑顔を写真に撮るのが僕の仕事で。

 

そうやって写真に撮った後、最後子供達に、その場で撮った写真の裏に

1人1人にメッセージを書いて、それぞれ渡して行くんです。

 

そしたら、その内の1人の子が、「もう一枚ちょうだい!」って言ってきて。

 

はい、ってあげながら、何でかなと思ったけど、どうやら、

小児病棟の壁に写真を貼る際に、表の写真だけじゃなく、

 

「裏のメッセージも見えるように」して、

写真とメッセージを並べて貼りたいという事でした。

 

その時に、「ああ、そうか。写真の表だけじゃなくて、

裏も大切にしないといけないな」と感じて、感動しました!』


●【亡くなった祖父からの手紙----------------------

 

<女性>

 

『中学3年生の時、卒業式の前日におじいちゃんが亡くなったんです。

 

おじいちゃんが病気で、もう治らないという事を、

私以外の家族は知ってて。

 

亡くなる何日か前に、病院に会いに行ったんです。

 

そしたら、おじいちゃんは喋れる状態じゃなくて、

私が話しかけてもおじいちゃんは何も言えなくて。

そして、亡くなってしまって。

 

おじいちゃんが亡くなってしまった後、私は暗くなっちゃっていたんですが、

おじいちゃん亡くなった数日後に、手紙が届いたんです。

 

差出人を見ると、おじいちゃんでした。それは、おじいちゃんが生前、

病室で書いていたものでした。

 

そこには、「受験、頑張りなさい。一生懸命勉強してきたんだから、大丈夫」

と書いてあって。

 

それまで暗くなっていたけど、おじいちゃんに元気を貰いました』


 

●【重傷患者が生き延びた理由】----------------------

 

<男性>

 

『僕が18歳の頃です。11月9日の事でした。

 

前日までは薄着していたんですが、

たまたま当日は厚着していました。

 

朝8時半頃で、学校に行こうと、

バイクで駅に向かっていて。

 

そして、交差点に差し掛かったんです。

左斜め前に総合病院があって。

 

交差点の中に入って、ちらっと横を見たら、

車が僕に向かって走って来ていたんです。

 

5mくらいの至近距離に

軽のワンボックスが迫っていて。

 

その瞬間、スローモーションになって、

これはどうしようか、と思ったんです。

 

アクセルをそのままにしてまっすぐ行くか、

それともブレーキをかけるか。

 

そして、アクセルをそのままにしてまっすぐ行こうと思って

走っていったら、軽のワンボックスは右からバイクの後部にぶつかってきて、

体が左に吹っ飛び、総合病院のフェンスにぶつかったんです。

 

でも、あまり痛みは感じなかったんです。

それで、大した怪我じゃないと思ったんです。

 

そして、フェンスに手をかけて立ち上がって。

そしたら、足を引きずっていることに気付いて。

 

周りに20人くらいいたんですが、

「立っちゃ駄目だ!」と、周りの人が言っていて。

 

そしたら、口から血が出てきて。

「もう俺は駄目だ」と思いました。

 

病院から人が出てきて、僕を院内に連れて行ってくれて。

外来の処置室へ行ったんです。

 

そして、足のレントゲンを撮ることになって。

 

でもその時、呼吸が苦しくて、

「苦しいんです!」と訴えたんです。

 

そしたら、「上(上半身)も撮ろう」となって。

 

その結果、「肺がつぶれている」とわかって。

肋骨が3本折れていました。

肩甲骨も折れていて。そして左足も折れていたんです。

 

そして、団体室の病室で急遽手術を行うことになりました。

 

その後、ICU(集中治療室)に運ばれて、

人工呼吸器をつけられて。

 

僕は、自分が死ぬとは全く思っていませんでした。

 

でも、実は医者は、私の両親に、

 

「生き延びられるかどうかはわからない。

生き延びても、植物人間になる」

 

と言っていたんです。

 

そして、医者が、

 

「ここで治療をやめて、終わらせるか、

治療するか、どうしますか?」

 

と聞いたとき、私の両親は、

 

「治療をお願いします」

 

と言ったそうです。

 

僕はその事を知らなくて。

ただ、治療を受けていました。

 

ICUは無菌室だから、家族以外は誰も入れないんです。

ベッドから5mくらい前に扉があり、扉に、

ちょうど人が1人覗き込める窓があって。

 

それから、大勢の友達が来てくれて、

1人ずつ扉の窓から顔を覗かせてくれたんです。

 

声が聴こえないから、筆談して、それに対して僕は

右腕だけは動かせたから、右腕を動かして

予め用意してもらった「ありがとう」の紙を見せたりして。

嬉しかったですね。

 

肺がつぶれて出血していたので、

鼻からチューブを入れて5分に1回血を抜いていたのですが、

それが苦しいんです。

 

でも、それをしないと呼吸が止まってしまうので、

24時間ずっと繰り返して。

 

ただ、友達が来てくれている間だけは、

不思議と、苦しさと痛みが無くなったんです。

 

その後、毎日友達が来てくれて、

その間は苦しさと痛みが無くなり、という事を繰り返して・・・

・・・僕は、奇跡的に快復しました。

 

何故多くの友達がICUに来てくれたかというと、

実は、あとから聴いたんですが、僕の親が、

 

「うちの息子、もう死んじゃうかもしれないから、

一度顔だけでも見といて」

 

と言っていたんです。

 

そして、多くの友達がICUに来てくれて、

そのおかげで、生き延びたんです。

 

僕は、周りの人の温かさで生き返ったのだと思います。

 

10何年前の医学では、快復する事自体が奇跡だと

言われました。

 

でも、医者に、

 

「経過処置は一生かな。もし少しでも痛みがあったりしたら、

 すぐに来て」

 

と言われました。

 

僕は、いつ自分の人生が終わってしまうか、

分からない中で生きています。

 

生き延びたことを後悔した日もありました。

身体には障害が残っていて、左足も一本では曲げられなく、

両足揃えなければ曲げられないし。

 

ただ、障害とも、友達のように付き合っていかないと

いけないと思うようになって。

 

今、34歳で、やっと「生き延びてよかった」と、

そう思えるようになりました。

 

友達に、そして家族に、本当に感謝しています。

 

今僕が生きていられるのは、

周りの人たちの温かさのおかげですから』


●【父の愛】----------------------

 

<男性>

 

『私は、父親があまり私の成績などに興味がなく怒ったり褒めたりも

してくれなかったので、父は子供などどうでも良いのだと思っていました。

 

しかし、あるときその考えが変わりました。

 

私が中学2年のときです。私はしたくなかったのですが、

友人に強要されスーパーで万引きしました。

 

しかし、その友人があまり好きでなかった私は、

万引きしたことを担任の先生に言いました。

 

私の意に反し、放課後に学年の先生が全員集まり、

私と友人の親を呼ぶというおおごとになってしまいました。

 

私は、万引きをしたが強要されたという被害者意識でいました。

そんなところに、学校に呼ばれた父親がやってきました。

 

私を見た父は「何学校に呼ばれるようなことしとんがじゃ」

と叫び、私の胸ぐらをつかみなぐりかかりました。

 

私は、怒られると思っておらずびっくりしました。

 

あとから聞いた話によると、学校は父を呼んだだけで

理由などは話していなかったようでした。

 

本気で怒る父を初めて見た私は、

本当に私のことを愛してくれているんだと感動しました。

 

これ以来私も父を愛するようになりました』


 

●【医者に見離された女性に起きた奇跡----------------------

 

<男性>

 

『僕は昔、化粧品を売っていたんですよ。

その時に女性のメンバーがいたんです。

 

その女性は、学生の頃に「子どもがもう出来ない」と医者に言われて。

 

で、「もう恋愛なんてしない!」と言って、

ずっと人を好きになる事もなかったんです。

 

それを聴いて、僕は彼女に言ったんです。

 

「そんな、医者が言ったことなんて関係ないよ。誰かと出会って、

好きになって、2人の想いが同じになったら、奇跡が起こるから」って。

 

それから時は経って、もう連絡も取らなくなって。

 

しばらくしたら、その女性から電話があって。

 

「○○さん、私、彼氏が出来て、結婚しました!

そして・・・子どもが出来たんです!」

 

それを聴いて、もう、すっごい嬉しかったです!泣きました!

 

そして今では2人目の子どもがいるんです!

 

だから僕、根拠の無い自信って大好きなんですよ!

奇跡は起こります!』


●【受験間近の家族旅行】----------------------

 

<女性>

 

『高校受験の時に、家族で奈良に旅行することになって。

でも私は受験だから家に残って1人で勉強していたんです。

 

家族が帰って来た時に、「ビデオを撮って来た」と言って、

ビデオを流しながらご飯を食べていたんです。

 

ずっと流しながら食べていたら、途中で、

お母さんが絵馬に願い事を書いているシーンになって。

 

見ていたら、「○○が高校に合格しますように」と、

私のことが書いてあって!

 

さらに、お父さんの声が、「○○、高校受験絶対受かるぞ!頑張れよ!」

と言っていて!

 

ビデオ流すとき何も言わなかったから、ビックリして!

嬉しくて、感動しました!』

●【一本勝ち】----------------------

 

男性

 

中二の頃の柔道の団体戦で、次の日重量級の県チャンプに

なった奴に一本勝ちしたんです

 

俺は大将で、最後の出番だったんですが

相手は団体県チャンプになった学校で、

 

俺がやる前にチームは負けが決まってた、という状況でし

 

俺の勝利に会場が沸いた事、負けた事で落ち込んでたチームが、

試合後もの凄く明るくなった事、

 

その日唯一相手チームにはっきりと土をつけた試合だった事の

三つが重な、その瞬間だけはヒーローになれたんです』

●【励まし】----------------------

 

<女性>

 

『大学の先生で、もう退職される先生で、

 偉大な先生がいるんです。

 

 私達は保育科なんですが、

 次の実習をする保育園が決まって、

 

 そこはすごく厳しいことで有名なんです。

 

 そこに実習に行った友達も、「心が折れた」

 って言ってて、すごく不安で。

 

 そのことを退職される先生に言ったら、

 

 「心が折れるって言うなら、折っちゃえば良いじゃん」

 

 って言ってくれて。

 

 「ヒビよりも骨折の方が治りが早い」って。

 

 「あなたたちは出来るから大丈夫」とかじゃなくて、

 私達の不安な気持ちを分かってくれた上で、

 

 「そんな事でもないと行かないでしょ?大丈夫!」

 って励ましてくれて。

 

 それに感動して、泣いちゃいました!自慢の先生です!』


●【問題児の言葉】----------------------

 

<女性>

 

『私が教師になって2年目。

 

担任した学年が、入学時からいわくつきの学年でした。

(毎年どこかのクラスが学級崩壊するという学年です)

 

経験も浅く、まだやり方も強引だった私は、

その子どもたちを何とかしてやろうと必死に取り組んだのだけれど、

 

やっぱりうまくいかず、数人の男の子たちが反抗する毎日に

苦しんでいました。

 

その中に、何か友達ともめると、必ず教室を飛び出す子どもがいて、

私は、毎日飛び出したその子を追いかける毎日でした。

 

苦しんでいるその子が私を頼っていても、

なんとかしてやりたいのに、

 

うまくクラスをまとめられない自分がもどかしく、

精神的につらい一年でした。

 

結局最後までその状態が変わることはなく、

学年が終わりました。

 

精神的に疲れきっていた私は、持ち上がり(担任をした児童たちと一緒に学年を一つ上がること)

をせず、他の学年の担任になりました。

 

しかし、ある日、その子は、なぜか学年が違うのに、

休み時間に私のクラスの前にいました。

 

なぜ、いるんだろう?と思っていましたが、

私に話しかけるでもなく、教室の外で、

 

今の私のクラスの子にやさしく話しかけてくれていました。

 

私に話しかけてくるわけでもないし、

どうしてなんだろうと思っていましたが、

 

それが、しばらくずっとその子が卒業するまで続きました。

ずっと不思議に思っていたのですが、ある日、他の先生から、

 

「○○くんは、自分の話を聞いてくれていた

 あなたのクラスのときが良かったって今でも言ってるのよ」

 

と聴きました。

 

あんなに授業もまともに出来ないクラスだったけれど、気持ちは感じてわかってくれていたんだと、

感動して、涙が出てしまいました。

 

また、ひょっとすると、私がまたクラスをつぶして

苦しんでいるんじゃないかと気に掛けて、

 

見に来てくれていたのかな・・・とも思います。

 

二度とクラスをつぶしてはいけないと思いつつ、そのときに一生懸命だった自分を

忘れてはいけないなと思って、教師を続けています』

 


●【園児に教わった思いやり】----------------------

 

<30代 女性>

 

『私は短大卒業後は地元で保育士として働き、

場所こそ変われど、今もその仕事を続けています。

 

そんな保育士生活の中でも、忘れられないのが最初の2年間。

 

新人だった頃の私は年少さんの担任になり、

かわいい子どもたちに癒されながらも、

 

先輩は怖くて()しかも大好きだった彼とも別れてしまったりで、

精神的にボロボロになりかけ、

 

ふと気を抜くとポロって涙がこぼれるようなことが

多くなっていました。

 

そんなとき、いつもは友だちに対してぶっきらぼうな態度を

取っていた『Bくん』がそっと近づいてきて

 

Aせんせい、おともだちとけんかでもしちゃったの?

そういうときはね、にっこりわらってごめんねっていえばいいんだよ!」

 

って、言うんです。自分もできないのに()!!

 

いろんなことに不器用で、決して優秀とは言い難い彼でしたが、

シングルマザーに育てられていることもあってか、

心は誰より温かかったんです。

 

そして、そんな彼と同じ名前の『Bくん』が今の旦那。

 

あの時の彼と同じ、決して何でもできる人ではないし

「もうちょっと勉強しようか・・・()」って言ってしまうくらい、

 

自分の得意分野以外のことを知らないけれど、

家族に対する気持ちだけは誰にも負けていないと思っています。

 

だって、旦那もあのときのBくんと同じく、両親が離婚した

タイミングで一人暮らしして、自分で専門学校に通って

建築士になった頑張り屋ですから。

 

それまでに満たされなかった分、ここでいっぱい

幸せを味わってくれていたら何よりです。

 

 

さて、後の旦那となる方の『Bくん』と出会った2年目。

この年に、ある出来事が起こります。

 

私は前年度に受け持った子どもたちを引き続き受け持ち、

年中さんの担任でした。

 

この年、クラスの人数は27名。その中に、

感受性の強い男の子C君が含まれていました。

 

夏が近づき、2階の保育室は扇風機を回したくなる頃のこと。

 

みんなが「暑い~」と言い始めたので、

ではという感じで何気なく扇風機を回した私。

 

すると、C君は悲鳴を上げて部屋から脱走・・・。

 

追いかけて、怖いものではないことを話して部屋に連れ帰るも、

また脱走・・・・。

 

これが3回続いたとき。ついに他の26名の子どもたちの中から意見が。

 

G君「ねぇ、せんせい。C君、これこわいんでしょ?

だったら、オレたちがまんできるよ」

 

Hちゃん「うん。いいよね?」

 

Iちゃん「いいよ。ちょっとくらいはがまんできるよ」

 

4歳児たち、なんて優しんでしょ!! 

 

その日はみんなのその言葉に感謝して我慢してもらったのですが、

夕方、翌日からもそんな生活が続くのはいけないと考えて、

扇風機に飾りを付け・・・。

 

翌日には、そのC君も、飾りのほうに視線がいくことで、

克服しましたとさ。めでたし、めでたし。

 

 

そして、冬。

 

もうすぐ年長さんになるみんなは、作品展のために

花瓶づくりをしていました。

 

紙粘土に、思い思いにビーズやスパンコールを埋めて

飾っていくのですが・・・

 

あろうことか、クラスで一番繊細な心を持った女の子Dちゃんが、

そのビーズの入ったケースをひっくり返して、大量のビーズが床に散乱・・・。

 

私の頭の中では・・・

 

「わ~、Dがこぼした~」「あ~あ~」・・・・って、

男の子が騒ぐ→Dちゃんは泣く・・・・

 

という展開になるだろうと、一瞬にして覚悟。

 

だったのですが・・・・・・

 

Dちゃん!Dちゃんわるくないからね!だいじょうぶだから!」

(女の子Eちゃん)

 

その声が室内に響いた瞬間、男の子たちの表情が変わりました。

 

「そうだよ!つかえなくなるわけじゃないし。

みんなでひろえば、すぐにかたづくじゃん!」

 

一人の男の子(Fくん)がそう続けると、クラス全員がお片付けモードに変身。

 

たぶん、この二人の言葉がなかったら、

Dちゃんは泣く羽目になっていたと思います()

 

その流れを察した二人の機転と思いやり。素晴らしいと思います。

 

全部が片付いたあと、私はその時の自分の気持ちを

全員に伝えました。

 

「友だちを大事にできて、友だちのミスをみんなで助けて

フォローできるなんて、本当に素敵なことなんだよ。

 

そして、クラスのみんながそういうお兄さん・お姉さんに

育ってくれたことが、私はすごく嬉しいよ」と。 

 

私はそんな二人の子のお母さんにその出来事を

伝えようと思ったのですが、

 

二人のお母さんはどちらも仕事をしていて、

朝も帰りも引き止めて話すような時間がなく、

 

その夜、その日のことを伝えるお手紙を書きました。

 

子ども達の思いやりが胸に染みて、

泣きながら書きました。

 

そして、そんなできごとのあと。

保育参観のあとに学級懇談会でお母さんたちから出た言葉。

 

私「このクラスは、本当にみんな優しくて、

友だちのことを思いやれる子ばかりで。

 

(上司)には『友だちを思いやることができるなんて、

年長の指針内容だから、できるわけがない。勉強しなさい』

 

と言われてきたけど、私はそんなことないって思っています。

 

2年間受け持たせてもらって、私の方が子どもに教わることばかり

でしたが・・・」

 

保護者Jさん「でも、このクラスのこの雰囲気って、

完全にA先生の空気だよね?」

 

保護者Kさん「2年で一番成長したの、先生じゃない?()

 

そんな風に言ってもらえ・・・・その方たちとは、今だ、

年賀状のやり取りをしながら、近況報告しています』


●【父の涙と娘の涙】----------------------

 

<20代 女性>

 

21歳の誕生日に友達がメッセージ本を作ってくれました。

 

そこには友達だけではなく家族のメッセージが書いてありました。

弟、妹、おばあちゃん、お父さん、お母さん。

みんなのメッセージが。

 

私は大学の時から一人暮らししてます。

 

お父さんは不器用で、久しぶりに娘にメールを送るにも

「生きとるか?」の一言で私にメールを送ってきていました。

 

そんなお父さんからのメッセージ。

 

21歳かー?早いね!ずーっと自慢の娘でいるように!!】

 

この言葉、何回見ても泣きます。

 

最近私の結婚が決まりました。

 

彼と挨拶に言ったとき彼からの挨拶の言葉に,

お父さんは涙をこらえているようにも感じました。

 

不器用ながらにお父さんにすごく愛されていることを感じています。

 

彼は私のお父さんと同じ誕生日、同じ血液型。

彼の名前は私のおばあちゃんとお父さんの漢字を一字ずつもらった名前。

 

運命を感じています』


●【いじめを乗り越えたキャプテン】----------------------

 

<10代 女性>

 

女性

 

『私が通っていた学校の陸上部はとても人数が少なく、

私の代も、私が入った当初、同級生3人と先輩10人だけでした。

この部活で3つ辛いことがありました。 

 

1つ目は、同級生のA子です。

 

初対面の時、A子に何もしていないのに、私はA子に嫌われていました。

でも、もう一人の同級生の子は私と普通に話してくれました。

でも、A子はそれが嫌だったかわかりませんが、私をハバろう

(のけ者にしよう)としました。

 

そして、徐々に一人になることが増えてきました。

でも、もう一人の同級生の子は話しかければ話してくれました。

 

最初はそれが支えだったけど、日を追うごとに辛くなり辞めたいと思うようになりました。

何回も何回も思い考え、時に先輩に言うこともありました。 

 

先輩に辞めたいというと話し合いにいつもなりました。

話し合いしても直りませんでした。

 

いくら逃げ出そうとしてもその話し合いの雰囲気は先輩も含め

絶対に辞めさせないという雰囲気が出ていつもしぶしぶ納得して

また明日から部活ということが何回もありました。

 

そんな時3年生の先輩が引退して、2年生の先輩の代になり始めました。

その年の9月ごろ唯一の支えだった同級生の子が先輩に

耐え切れなくなり辞めようとしました。

 

当然話し合いになりました。その日はしぶしぶ納得させられ、

次の日大会だったので帰ることになりました。

 

大会の日、同級生の子は来ませんでした。

電話、メールをみんなでしても電源が切られていてつながりませんでした。

そして、唯一の支え人が消え、A子と2人になりました。

 

最初の頃は私は全くA子と話しませんでした。

でも、先輩方が話させようと何回もして少しずつ話すようになりました。

でも、逆にそれが自分を傷つけることになりました。

人の気持ちを考えずいろいろと言われるようになりました。 

 

心がボロボロになりかけていた、そんな時嬉しいことがありました。

部活終わりにクラスへ行くとテスト勉強している友達が教室にいました。

なんかわからないけど泣けてきて泣いてしまいました。 

 

この時、2年生の夏になっていました。 

1年生の時少し相談していた子1人と何も知らない子2人がいました。

以前相談していた子1人と知らない子の内1人は泣く私を見て

泣き止むまで勉強して、見て見ぬフリをしてくれました。 

 

もう一人の子は隣で泣く私に何も言わず頭をずっと撫でてくれました。

泣き止むと理由を聞かずにいてくれました。

この子たちは信じていいと思いなんで泣いたか話す私に何も言わず

ずっと聞いてくれました。

ボロボロの心に少しかさぶたができました。

 

でも、また部活につぎの日行くとせっかく出来たかさぶたが

少しずつ少しずつ取れてきてしまいました。

 

ぎりぎりまで我慢するけど本当に本当に辛くなったとき頭を撫でてくれていた子に

泣きながらでんわしました。その子はどんなに遅くても聞いてくれました。

 

たぶんそれがあったから、3年間頑張ってこれたとおもいます。

 

2つ目は新たな壁でした。先輩が引退し次のキャプテンをやることにしました。

 

後輩も入り頑張ってまとめようとする私にまたA子が立ちはだかりました。

先輩が引退したことにより少しずつ部活中に彼女が遊ぶようになりました。

注意してもやめませんでした。そのことをどうしたらいいかわからず

先輩に相談すると最初は乗ってくれました。

 

あるときから相談しにくい雰囲気になりできなくなりました。

 

なぜかなっておもっていたら、すぐ答えがわかりました。 

 

A子があることないことを先輩に言っていました。

彼女は1年生のころから1年生の仕事をあまりせず先輩にこびを売っていて

先輩はなんの疑いもなく彼女の意見を信じていました。

 

そして、ある時から、試合後に呼び出され怒られるようになりました。

でも、怒られる内容が違うことばかり過ぎて「なんで?」が

大きくなり泣けてしまいました。

泣いてるだけの私になんで泣くだけなのとまた怒られました。 

 

でも、2年間一緒に先輩とやっていて多分言っても無駄だと思い

何も言わず時間がたつのを待っていました。

その日から試合が終わるごとに呼び出されるようになりました。

シーズンが終わると教室まで来る時もありました。

 

確かに私は完璧な人間ではないので上手くいかないこともあります。

でもそこで怒られてもちゃんと見てくれている人だから上手くできなくて

悔しい涙がでても頑張ろうと思いました。でも、その先輩は違いました。

まず、部活に来ていないので状況が分からず、1人の意見を聞いて

それで怒っていたからです。

 

来ている先輩だったらそう見えてるんならがんばって直そうと思いました。

でも、、、その先輩は、部活に来ていなかったのです。

 

だから、話もどこかあやふやでした。顧問の怒り方とは全然ちがいました。 

 

溜め込んでしまう私はもう限界でした。

何回も何回も死にたいと思いました。

友達に電話で聞いてもらってるときは辛いけど少しは大丈夫でした。

でも、一人になると涙が自然と出てきました。

部屋で一人いつものように泣いていました。

 

本当にやばいときは、駅のホームや電車の中、

学校の帰り道で泣いてしまいました。 

 

そんなときある曲に会いました。小さいときたまたま買っていたCD

ipodに入っていて、たまたま流れた曲の主人公が自分にそっくりでした。

アーティスト欄を見ると関ジャニ∞でした。 

 

色んな曲を聴いていくうちに少し元気がでました。

そして頑張ろうと思いました。そして、少しずつ関ジャニ∞が

気になり調べていくと下積み時代が長く色んな壁を乗り越えたことを知り、

辛いのは一人じゃないと考えることができました。 

 

そして、雑誌・TVなどのインタビューで答える言葉がすごく前を

むかせてもらえる言葉ばかりでした。

下積み時代にいろいろとあったから出てくる言葉ばかりでした。

今では、関ジャニ∞の曲を聴くのが日課です(笑) 

 

最後は後輩でした。 

 

思ってることと文章がうまくいかない私は自分なりに頑張って

注意したりしていました。そんな時、A子がまた釘をさすかのように

徐々に色々と後輩の前でいうようになりました。 

 

そんな時、チームで話し合いをするとき、2人の意見をまとめてから

話し合いをすることを決めていました。そこで、私が否定したはずの意見が

チームで話をするとき必ずといっていい程出てきました。

今度は後輩にこび売るようになり、後輩も少しずつ向こうを

信頼していきました。

 

後輩が信頼してなくても注意する人がいないとダメだと思い頑張って

1人で注意してると、彼女は後輩とふざけたりしてしめしがつかなくて・・・

でも、頑張って自分ができることを精いっぱいやりました。 

 

そして、最後の大会で県大会へ行くことができました。

県へ行っても色々と問題があり辛かったりしたけど、

最後までやり遂げることができました。 

 

その後、引退してからもちゃんとキャプテンとしてできたか不安でした。

 

そして、卒業式を迎えて、ある言葉をみて泣いてしまいました。

 

卒業式が終わり、顧問の先生に提出した最後の部活から

ずっと返って来なかった毎日のように書いていた部活ファイルが

返ってきました。そこにはA4の紙一枚にこんなことが書いてありました。 

 

「前文省略。日々の練習の中でも多くの困難がありました。

特に成果を挙げた翌年のキャプテンということで多くの苦悩が

あったと思います。

 

叱ることも幾度となくありました。しかし、前向きな発想で、

その任を立派に務めあげてくれました。

 

壁にあたってもなんとか乗りこえようと必死にもがき、

なんとか前に進もうとしてきたことで、乗り越えてきたように思います。

 

もがきながらもなんとかしなければならないという強い気持ちが

あなたをここまで成長させてきたのでしょう。 

 

あなたはこの3年間で多くの力を得ることができました。

持ち前の強い気持ちに加え、責任感、思考力等、身につけることのできた

これらの力があなたをより大きく成長させてくれるでしょう。

 

勢いにまかせて行動してしまう不安はありますが、

大きく飛躍する可能性を秘めています。

 

一人の人間として大きく成長していって下さい。

又、素敵な女性になって下さいね」

 

と直筆で書いてありました。

 

これを見たとき今までもがいていたことをちゃんと見てくれる人は

見てくれていたと改めて思ったら泣けてきました。

 

今でも、辛い記憶がよみがえるときがありますが、

それ以上に楽しいことが多いので頑張って前向いていきたいです。

 

壁を乗り越えて得たものがいっぱいあるので

今はA子に感謝の気持ちもあります』


●【普段謝らない母の“ごめん”】----------------------

 

<20代 女性>

 

女性

 

『今朝、母と喧嘩してしまったんです。

 

私と母は、喧嘩すると、お互いに意地を張って、

ごめんとか言わずに、そのまま時間が経つ感じなんです。

 

今朝も、お互いにごめんと言わず、

それどころか私は、「行ってきます」も言わずに家を出て。

 

そしたら、電車に乗っている時に母からメールが来て。

 

そこには、「ごめん」と書いてあって。

 

普段謝らない母が謝ってくれて、ビックリして・・・

 

電車の中で泣いちゃいました』


●【亡くなった父が来てくれた演奏会】----------------------

 

<20代 女性>

 

『高校の頃、吹奏楽部だったんですが、

高校に入って初めての演奏会の時に、

 

父に見に来て欲しいなと思ったんです。

 

でも、父は事故で亡くなっていて・・・

 

しかも、母も仕事で見に来れなくて、

私は一人ぼっちだなって思いながら演奏していたんです。

 

そしたら、演奏中にふと客席を見たら・・・

 

父がいたんです!

 

「あ!お父さんだ!見に来てくれたんだ!」って思って。

 

でも、良く見たら、父に良く似た友達のお父さんで。

 

人違いだったけど、何だか父が見に来てくれたような

気持ちになって、泣きそうになりました』


●【就職留年しようとした子への母の言葉】----------------------

 

<20代 男性>

 

『就職が決まらなくて、就職留年をしたいと伝えた時に、

母親が僕にこう言いました。

 

「就職が決まらないからと怒る親は、

自分のことしか考えていない。

 

子供に内定を早く取って欲しいのは、

結局親が安心したいからでしょ?

 

親戚の目や近所の目、とにかくたくさんの世間体から解放されたくて、

『まだ就職決まらないの?』と子供に安心を迫る。

 

だけどそれはやっぱり親のエゴであって、

子供のためではないの。

 

だから、本当に子供を想う親なら

子供の考えや決断を尊重するべきじゃない?

 

だからお母さんはあなたの就職留年について反対はしない。

 

あなたが考えて悩んだ道なら、応援するから、精一杯やりなさい。

 

だけど、その代り、自分で選んだ道の責任は自分で取るのよ」

 

僕はこのことを聞いたとき、心の底から親に感謝すると共に、

心の底から親を尊敬しました。

 

本当に自分の将来を考えてくれて、

自分を尊重してくれているのだと、まっすぐに感動しました』


●【不登校児を救った一枚の服】----------------------

 

<20代 女性>

 

『服屋さんで2年間バイトとして働いているんですが、

2月のある日、小学校4年生の女の子が、両親と一緒に来店されて。

 

ご両親が、「この子に合う服を選んでくれませんか?」と言われて。

 

2月は、服を新調する人は少ないのに、

何故だろう?と思いつつも、

 

私がいくつか服を選んだら、5~6着買って下さったんです。

 

そして、7月になって、その女の子とご両親が、

また来店されて。

 

私が「以前はご購入いただきましてありがとうございました」

と言ったら、ご両親が、頭を下げて、

 

「本当にありがとうございました!」と仰って。

 

「え?私はただ服を選んだだけですけど・・・」と、戸惑っていたら、

実は、こういうことでした。

 

実は、その女の子は、不登校だったのです。

 

みんなと話も合わないし、学校に行きたくないと言って。

 

そこで、ある日、両親が、

「気分転換に服でも買ったらどうだ?」と言って、買いに来たんです。

 

そして、私が選んだ服を買ったら、その女の子が、

「明日、この服を着て学校に行く!」と決心して。

 

翌日、久しぶりに学校に行って。

 

そしたら、クラスのみんなが、服の事を褒めてくれたんです。

 

それからは、お洒落の話で盛り上がるようになって、

楽しく学校に行けるようになって。

 

うちのお店でも、その女の子は、

「こういうのは好きだけど、ああいうのはイヤ」と言って、

ファッションの価値観が出来上がっていて。

 

服1枚1枚に、こうやって誰かの大切な物語があるんだなって思いました』


●【ロマンチック・クリスマス】----------------------

<30代 男性>

『僕は結婚していて、子どももいるんですが、
去年のクリスマス前に、嫁さんには内緒で、

小学校6年生の娘とプレゼントを買いに行ったんです。

名古屋港の花火のイベントに行って、
そこで嫁さんにプレゼントを渡そうと思っていて。

クリスマス当日になって、花火の時に、

「実は、渡したいものがあって・・・はい、これ」

と言って、渡そうとしたら、嫁さんは、

「えー!?私も渡そうとしていたの・・・」

と言って、密かにプレゼントを準備してくれていて。

実は嫁さんも、娘と2人で、僕に内緒でプレゼントを
買いに行ってくれていて。

僕らは知らなかったけど、娘は全部知っていて。

そして、プレゼントをお互い渡した時に、
娘が、「ロマンチック・クリスマス~♪」と言って!

それが感動です!』


●【虐待する母と嫌いな父との苦しい日々を越えて】----------------------

 

<10代 女性>

 

『私は、小さい頃から、母の暴力を受けてきました。

 

小学校の頃、ある日、「小さい頃の写真を持ってくる」という

授業があって、写真を探したんですが、写真がすごく少なくて、

 

やっと見つけたと思ったら、そこに、「産みたくなかった」と

書いてあったんです。

 

母は、姉と私、2人の娘に、「本当はあんたたちを産みたくなかった」と

面と向かってはっきりと言っていて。

 

だから私は、「私は要らない子だったんだ・・・」と思って。

 

母は私達に暴力を振るいましたが、

父は母に暴力を振るっていて。

 

私が小学校2年、姉が6年の時に、それがエスカレートして、

母が家に帰って来ないようになって。

 

そしてある日、母が私達2人の娘に、父と母の離婚届を

バン!とテーブルに叩きつけて渡して、

 

「離婚するから。あんたたち、出してきて」と言って。

 

私と姉は泣きながら市役所に出しに行って。

 

市役所の人に話をしたら、

市役所の人が、「お母さんに電話して良い?」と言って来て、

 

電話してもらって、時間は掛かったけど、受理されて。

 

姉は父と一緒に住むことになって、

私は父が嫌いだったので、母と一緒に住む事にして。

 

祖父母の家に一緒に住んでいたんですが、

母は祖父が嫌いで、一緒に住めない、と、

 

私を預けたまま家を出て。

 

父も仕事を辞めてしまい、姉を養えないと言って、

姉も祖父母の家に来て。

 

しばらくしたら、母が、自分が借りているアパートに

一緒に住もうと言って、私と姉を迎えに来て。

 

そして、アパートに行ったら、

何故か父が入って来て。

 

私は「絶対にイヤ!」と言ったんですが、

母は、「私は家族4人で、笑顔で暮らしたい」と言っていて。

 

実は母は、祖父母の家を出て、1人暮らしをしていた時に、

色々と資格を取っていたんです。介護福祉士の資格とか。

 

子供の心が分からないから、色んな資格を取る事で

少しでも分かるように、という気持ちもあったようです。

 

そして、「産みたくなかった」と言った理由も教えてくれました。

 

母の実母が、母の事を小さい頃から虐待していたらしくて、

祖母は、赤ん坊に煮えたぎった味噌汁を掛けるような人だったから、

 

もし母に子どもが生まれたら、酷い扱いを受けて、

良いように使われるだろうから、産みたくなかった、と教えてくれて。

 

昔は、母らしい事を何一つしてくれなかった母ですが、

最近は、私が嫌なおかずを残したら、

 

「好き嫌いせずに全部食べなきゃダメよ」と言ってくれたりして、

「あ・・・お母さんだ・・・」と思ったり、

 

中学校まで一度もプレゼントを貰った事がなくて、毎年サンタさんは

来なくて、「サンタさんはいないんだ・・・」と思っていたけど、

 

高校になって、生まれて初めて親からプレゼントを貰って。

 

母が変わってくれたことが感動です。

 

父とはまだぎくしゃくしているけど、母が変わってくれたし、

今、看護士として働いている大好きな姉が、

 

家族でごたごたした時に、

 

「○○○(私の名)は、私のところにおいで。

あんたの学費は私が出してあげるから。

 

一緒に住もう。あんたも、看護士になりな」

 

と言ってくれて、その支えがあるから、

中学まで全く勉強してなかった私ですが、

 

今はちゃんと勉強して、お姉ちゃんみたいな、

立派な看護士になろうと思います』


●【サプライズのお祝い】----------------------

 

<女性>

 

『今8歳の娘がいるんですが、以前娘が5歳の時に、

私が娘に相談事をしたんです。

 

「この人とこの人がいて、今、2人はこういう関係で。

こういう状況で。どうすれば良いか迷っているんだけど、

どうすれば良いと思う?」

 

と。

 

そしたら娘が、「お母さんはどうしたいの?」と聞いてきて。

 

その瞬間、ハッとしました。

 

私は、人の事ばかり気にして、自分がどうしたいかを

考えていなかったなって。そう気付きました。

 

あと、私には夫がいなくて、彼氏がいるのですが、

娘が8歳になってから、娘にこう聞いたんです。

 

「彼氏と別れようと思っているんだけど、どう思う?」と。

娘も私の彼氏と仲良くなっていたので。

 

そしたら、「お母さんが決めた事なら、別れれば良い。

でも、もし迷っているなら、嫌だ」と言われて。

 

またハッとしました』


●【5歳のメンター】----------------------

 

<女性>

 

『今8歳の娘がいるんですが、以前娘が5歳の時に、

私が娘に相談事をしたんです。

 

「この人とこの人がいて、今、2人はこういう関係で。

こういう状況で。どうすれば良いか迷っているんだけど、

どうすれば良いと思う?」

 

と。

 

そしたら娘が、「お母さんはどうしたいの?」と聞いてきて。

 

その瞬間、ハッとしました。

 

私は、人の事ばかり気にして、自分がどうしたいかを

考えていなかったなって。そう気付きました。

 

あと、私には夫がいなくて、彼氏がいるのですが、

娘が8歳になってから、娘にこう聞いたんです。

 

「彼氏と別れようと思っているんだけど、どう思う?」と。

娘も私の彼氏と仲良くなっていたので。

 

そしたら、「お母さんが決めた事なら、別れれば良い。

でも、もし迷っているなら、嫌だ」と言われて。

 

またハッとしました』


●【20年越しの卒業証書】----------------------

 

<男性>

 

『僕の父は、高校を出ていないんです。

高校1年生で辞めてしまったらしくて。

 

月日は流れ、僕が高校を卒業する時になって。

 

僕が高校を卒業した時に、卒業証書と卒業証明書を貰ったんですが、

それを父に見せたんです。

 

そしたら、父がいきなり泣き出して・・・

 

自分が貰えなかったものに対する複雑な思いと、

息子がそれを貰えたことへの喜びがあったんだと思います』


 

●【サプライズ】----------------------

 

<女性>

 

『学園祭の実行委員長をやっていたんですが、

学園祭当日、すごく辛くて、終了直後に、

安堵感から泣いてしまったんです。

 

そして、泣いていたから、少し遅れてスタッフが

終了後に集まることになっていた集合場所に行ったんです。

 

そしたら、部屋が真っ暗で。

 

あれ?と思いながら、中に入ったら・・・

 

「パーン!」

 

クラッカーの音がして!

 

「お疲れさまー!」

 

スタッフのみんなが、

サプライズで私を労ってくれたんです。

 

嬉しくて、泣いちゃいました!』


●【友の最期のメッセージ】----------------------

 

<男性>

 

『友達が、自殺してしまったんですが、

亡くなる直前に、リョウ・ザ・スカイウォーカーの

 

エバー・グリーンという曲を、「これ、すごく良いから!」と、

みんなに聴かせて、カラオケでも歌っていたんです。

 

彼は亡くなる前日の夜も、カラオケでその歌を歌って、

普通に「お疲れ!」と言って別れて。

 

その歌は、「お前らは頑張って生きろ」という歌なんですが、

きっとこれは、彼が俺たちに遺したメッセージなんだと思います。

 

俺たちは、彼の分まで、精一杯、頑張って生きていきます』


●【強気な母の涙】----------------------

 

<女性>

 

『セミナーコンテストというコンテストに

出場したんですが、出場する直前、

 

セミナーの内容が何も出てこなくて、

本当に吐くほど苦しんだんですが、

 

その時に、普段あまり電話しない母に電話したんです。

 

そして、私は、「私、何も無いの!」と、

苦しい想いを吐き出して、泣いてしまったんです。

 

そしたら・・・母も一緒に泣いてくれたんです。

 

「そうやって辛いときは、いつでも電話しなさい」

と言ってくれて。

 

私にとって母は、強くて、一匹狼な所があり、

私はそこに憧れていて、超えられない壁、という感じだったんです。

 

そんな母が、私のために泣いてくれたのが、感動です!』


●【DV監禁された過去を乗り越えて----------------------

 

<女性>

 

『去年の6月から付き合っていた6個上の彼氏がいたんですが、

今年2月に一度別れちゃって。

 

でも、6月にまた寄りを戻したんです。

 

そしたら先日、何気なく一緒にTVを見ている時に、

「結婚しよう」と言われて。ビックリしました!

 

私は今19歳で、高1の時に付き合っていた彼氏がDVをする人で、

殴られて、1ヶ月監禁されて、携帯も取り上げられて、

 

その人が勝手に私の家族に私を装ってメールして、「学校は辞めます」と

伝えていたらしくて、学校も辞めることになって。

 

そういう過去があったから、それ以後付き合った彼氏に元カレの事を

聞かれて話すたびに、「重過ぎる」と言われて、上手く行かなくて

1ヶ月で別れちゃったりして。

 

だから、真剣に付き合うことなんて無かったし、私は一生結婚できないかも、

と思っていたら、今の彼氏は、私の過去も全て受け入れてくれた上で、

「結婚しよう」と言ってくれて・・・

 

もう、嬉しくて、涙が溢れて止まりませんでした』


●【全てを水泳に掛けて・・・----------------------

 

<男性>

 

『僕の彼女の弟が、高校で水泳をやっているんですが、

朝から晩まで練習していて、遊ぶ時間も犠牲にして、

水泳に打ち込んでいるんです。

 

そして1ヶ月前、県大会があって、そこで背泳ぎで1位になったんです!

 

僕はすごい!と思いました・・・が、

コーチは厳しい事を言っていて。

 

そして、先週、東海大会があって、

僕も見に行ったんですが、2位だったんです。

 

十分すごいと思うんですが、ターンで失敗したらしくて、

ターンが上手く行っていたら、1位だったらしいんです。

 

本人はそれが悔しかったらしくて、表彰台で悔し涙を

流していたんです。

 

そして、

 

「インターハイで必ずこの悔しさを晴らす」と言っていて。

 

高校生なのに、そこまで自分を追い込んで打ち込み、

高みを目指す姿に感動しました!』

 


●【プロポーズを諦めなかった理由----------------------

 

<男性>

 

『友達が、付き合っていた彼女に3年前に振られたんです。

でも、まだ好きで、諦めきれずに、先日、プロポーズすることにして。

 

1週間前から準備して、プロポーズする前日も、

午前3時まで準備して、僕も手伝っていたんです。

 

そして、プロポーズして・・・

 

成功したんです!

 

そして、成功した後に、彼はタバコのケースを取り出して。

 

そこには、"Never give up!"と書かれていて。

 

実はそれは、2人が付き合っていた頃に、

彼女が冗談で落書きして彼にあげたものだったんです。

 

そして、彼はそのタバコのケースを見せながら、

彼女に言いました。

 

「お前がくれたコレ、捨てずにずっと持っていて良かった。

 諦めなくて良かった」と。

 

一途な彼の想いが届いて良かったです』